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■「幻の大津絵と東海道五拾参次」の作品紹介 その4

2022年01月29日

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大津絵「傘さす女」笠間日動美術館蔵(旧蔵:梅原龍三郎→益田義信→小絲源太郎)

「幻の大津絵と東海道五拾参次」で展示している大津絵の中から、大津絵に魅了された人々と大津絵「傘さす女」、「鬼の念仏」、「『古筆大津絵』鶏」をご紹介いたします。

東海道は明治期に入ると鉄道の導入や道路の整備によって、江戸と京都を結ぶ陸路としての機能が失われていきます。大津絵は江戸時代中期から全国的に流行しましたが、上記の理由によって東海道を利用する旅人が減ったことで大津絵を販売する店も減少し、1905年には無くなってしまいます。
明治期になると主に関西の芸術家や蒐集家が大津絵に関心を持ち蒐集を始めます。当館に所蔵されている大津絵の多くは、梅原龍三郎、北大路魯山人、小絲源太郎、富岡鉄斎などの芸術家や文人によって旧蔵されていたものになります。
今回は、大津絵に魅了された人々についてご紹介いたします。

■梅原龍三郎(1888-1986)

大津絵「傘さす女」を蒐集していた梅原は、それ以外にも初期の大津絵「青面金剛」、「藤娘」(2点ともギメ東洋美術館へ寄贈)や浮世絵を蒐集していました。1929年の『浮世絵新聞』では、大津絵の魅力について寄稿しています。そこでは、単純化されながらも力強く、無邪気でハツラツとしている点を気に入り「自分の為にはよく学ぶべき手本」と述べ、また、フォーヴィスムを主導したアンリ・マチスとの共通点を見出しました。

また、フランスに渡り、晩年のルノワールのもとで学び”天性のカラリスト”と呼ばれ、当時のパリで新たな表現であるフォーヴィスムやキュビスムを現地で見た梅原は、帰国後に東洋的な油絵を模索し、日本の伝統的な琳派や南画などを取り入れた、絢爛な色彩と豪放なタッチによる作品を制作しています。
(昨年、当館で開催した「梅原龍三郎と藤田嗣治 FRANCE⇔JAPON UMEHARA et FOUJITA」でも、梅原とルノワールやフォーヴィスム、日本美術との関係についてご紹介いたしました。http://www.nichido-museum.or.jp/exhibition_archive_2010.html

梅原の色彩や単純化された造形の表現には、マチスやルオーによるフォーヴィスムだけでなく、自由でプリミティブな面を持った大津絵の造形表現から影響を受けたと考えることもできます。
(*1月29日現在、フランス館では梅原、ルノワール、マチスによる女性を描いた作品が展示中です。是非、当企画展とあわせてご覧になって比較してみてください。)

また、展示中の「傘さす女」は、文芸雑誌『白樺』に携わった岸田劉生や柳宗悦に評価されており、戦前から広く知られた逸品です。

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大津絵「鬼の念仏」笠間日動美術館蔵(旧蔵:北大路魯山人)

■北大路魯山人(1883-1959)

美食家や陶芸家など多彩な面で活躍した魯山人が旧蔵していた「鬼の念仏」は、鎌倉で過ごした茅葺の民家に掛けてあったものです。(茅葺民家の「春風萬里荘」は、現在、笠間日動美術館分館として移築され開館しております。
詳しくは→ http://www.nichido-museum.or.jp/shunpu/
大津絵好きとして知られていた魯山人は、経営していた星岡茶寮で「鬼の念仏」や「座頭」など所持していた大津絵を展示して「大津絵展」を開催したこともありました。

この「鬼の念仏」と同じように、板に図を描いた看板が歌川広重「東海道五拾参次 大津宿」(丸清版)に登場します。

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歌川広重「東海道五拾参次 大津宿」(丸清版) 笠間日動美術館蔵 後期出品

看板には他の画題が描かれることもありましたが、「鬼の念仏」は大津絵の画題の中でも人気が高く、一目見て大津絵を販売する店とわかる代表的なキャラクターとして用いられたことがわかります。

2月8日(火)からの後期では、「東海道五拾参次 大津宿」(丸清版)と「鬼の念仏」の両方がご覧いただけます。是非、前後期あわせてご来館ください。

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大津絵「『古筆大津絵』鶏」笠間日動美術館蔵(旧蔵:富岡鉄斎→小絲源太郎)

■富岡鉄斎(1837-1924)

明治、大正期の文人画家で、「最後の文人」とうたわれた富岡は、大津絵の蒐集だけでなく、大津絵を題材に作品を描いていたことでも知られています。没後は蒐集品が売り立てられました。展示されている「古筆大津絵」を収めた画帳が出品された時には、大津絵を蒐集したことで知られる山内神斧が出品について記しており、蒐集家の中でも評判になったとされています。

■小絲源太郎(1887-1978)

上野の料理屋の長男として生まれた小絲は、藤島武二の作品に感動して画家を志し、文化勲章を受章するほどの活躍をした人物です。
生前には洋の東西を問わず多くの古美術を蒐集し、昭和の初めごろから大津絵を蒐集を始めました。現在は笠間日動美術館が小絲源太郎コレクションとして所蔵しており、所蔵する大津絵の大半を占めています。

「『古筆大津絵』鶏」は、太鼓の上で鶏が朝一番の鳴き声を発する様子を描き、周りには早起きを推奨する道歌が添えられています。ここでは一部ご紹介します。

怠らず朝おきを
      して
 はんじやうの
時をえたりと
  うたふ
       鶏

朝おきすればいつでもこゝろよし
   おきねばわるい病とぞなる

「『古筆大津絵』鶏」以外にも流行した全盛期の大津絵には図と道歌が描かれ、庶民に教訓として広まりました。

*1月2日(土)から3月6日(日)まで開催中の「幻の大津絵と東海道五拾参次」は会期中、前期後期で展示替えがございます。歌川広重「東海道五拾参次」のうち、日本橋-掛川までを展示する前期は、2月6日(日)までとなっております。後期は2月8日(火)から3月6日(日)まで。(袋井-京都 三条大橋まで)

参考文献
著 クリストフ・マルケ、絵 楠瀬日年「大津絵 民衆的諷刺の世界」(2016年、角川ソフィア文庫)
「もうひとつの江戸絵画 大津絵 小絲源太郎コレクション」(2018年、公益財団法人日動美術財団)

展覧会の詳細については
PCから→ http://www.nichido-museum.or.jp/exhibition.html

スマートフォンから→ https://onl.la/f9LndqW
(T.T)